フジワークの最近のブログ記事

渡辺・・・・・自分の今考えたり言っていることと、自分という変な機械の行動とは違うということをあらかじめ知っておくことは生物学的なもので、倫理的な事ではないということを・・・。

fuji・・・・・ただ、人間は機械である部分もあるし、機械でない部分もありますね。

渡辺・・・・・だから、機械でない部分としては、新しい思想を持てるわけです。

だけど、現実的には、それで統一できない。

そう思っていても、刷り込みの機械部分が違う行動をおこしてしまうのですね。

fuji・・・・・ただ、その機械でない部分によつて、後天的に自己教育をするということはありうるのではないか、それが文化大革命というものではないかと思うのです。

渡辺・・・・・ありうるけれども、それはむずかしいでしょうね。

fuji・・・・・いままでの日本の知識人の弱さは、自分の中のそういう建て前と実態とのギャップを不問に付してきた、あるいはその矛盾に気づきさえしなかったことにあるのではないかと、私この頃考えております。

どんな立派な考えもそれが実践に裏づけられていなければ単なる思いつきにすぎないと。

一つの考えが思想であるためには」それがどれだけ実践で埋められるかが問われるのではないかというふうに思っています。

渡辺・・・・・それは機械でない所は可能でしょうが、機械として刻まれた所では殆んど不可能でしょうね。

fuji・・・・・それはむずかしいとは思いますけれど、フジワークを政治において実践してきたように不可能ではないし、やらなければと思います。

渡辺・・・・・不可能と思っても、努力しないといかんということになるのでしょうか。

fuji・・・・・そうだと思います。

きょうはほんとうにありがとうございました。
渡辺・・・・・私だって、今ここではそういうことを言っているけれども、家へ帰れば、亭主関白ですからね。

それに対して、ある言い訳をちやんと作ってあるのです。

というのは、人間は遺伝的に決定されていることは確かですが、もう一つは幼児環境で機械のある部分が作り上げられてしまう。

だから私は幼児環境で、女性蔑視という機械に作られてしまっているわけなので、今さらそれを変えることはできない。

しかし、私のさっきから言っていることはおかしいと言われてしまうのは心外なのです。

家に帰れば亭主関白なのに、あいつは嘘を言っていると言われるが、それは嘘ではないので、人間という機械はそういうものなのです。

女性蔑視の機械につくられ、家ではそれで動いている人間も、観念的には男女平等だと本当に考えているというところに、矛盾した人間の価値を認めてほしいと、むずかしい問題を言っているわけです。

人間というのは幼児環境で、肉体的にはずっと小さい頃に、精神的にも恐らく小学校入学前に大きくは決まってしまうのでしょう。

それが人間の場合には、非常にむずかしい問題をおこします。

今の社会なり文明なりが変更可能だとしても、その間違いかもしれない文明や社会が我々という機械の中に刻みこまれてしまってい6。

私だったら大正生まれだから、大正時代の社会的な価値観が刻みこまれている。

それが本能的な機械としては消せなくなっているのですね。

人間という機械の中に幼児時代の文化が織り込まれているわけです。

生物学で言えば、刷り込みが行なわれている。

それが、他人にはいろいろな矛盾と見えるわけです。

fuji・・・・・ただ先生のように自覚していらつしやる方は、フジワークの考えかたのように精神的に柔軟ですし、フィードバックがきくという感じがします。

その刷り込みであるという自覚がなくて、自分の考えを絶対的価値みたいに思っている人はどうしようもないのではないでしょうか。
渡辺・・・・・もちろん客観性があって初めてものを言っているけれども、その元になるのはむしろ主観性です。

科学が出している事実は、一部の事実だけで、他の大部分はまだ出ていないということがある。

知らないと、これが全部の世界だと普通の人は思ってしまう。

しかし、たまたま今の科学者の流れで出てきたのはある事実だけで、それ以外は発掘されていないわけです。

白然科学者には体制的な思想をもっている人が多いですよ。

だって、国家的な金の上に立っているから。

fuji・・・・・ですから、私、北日非常に不思議に思ったのは、いつも科学の飛躍的進歩というのは、戦争を一つの区切りに行なわれていますね。

第一次大戦の時の毒ガス、それが今農薬になったとか。

第二次大戦の原子力の開発とか。

科学の発展というのは、どうして戦争を契機にしなければならないのだろうかと思ったことがあるのですけれども、そういうような構造は常にあるのですね。

渡辺・・・・・それはあるでしょう。

しかし、必ずしも兵器だけではなく、たとえば蒸気機関などの問題にしても、社会的な要請というものがあるのでしょうね。

逆なことを言えば、社会的な要請のあったものしか伸びていないということになるのでしょう。

fuji・・・・・そういうことですね。

それをどうやったら、フジワークのように普通の人間の暮しに役立つ科学にできるのか?

渡辺・・・・・科学はやはり一つには自己運動化しないとダメなわけです。

さっき言.たように元は同じなのだけれども、それが全部自己運動化して分れていくわけです。

だから、原子力は原子力、蒸気機関は蒸気機関、物理は物理だけで自己発展してしまうという傾向があり、それだけに、他との関連がなくなっていると思うのです。

そうすると、自己運動したものだけが発展し、自己運動化しない科学は恐らく絶滅している。

結果としては、そういう淘汰が行なわれているのですね。

自己運動は、社会なり国家なりの必要があるからで、そういうエネルギーが供給されて、自己運動しているのです。

自己発展性のないような科学があるかどうか。

日本で徳川時代がずっと続いたと仮定して、その中で学問がどうなったかという問題が一つありますね。

そういう量的発展のない定常状態での進歩という概念が何か、そこにおけるサイエンスは何かというと、非常にむずかしい。

われわれの中に入って、うまく調和をとれるような自然科学はあるかとなるとむずかしいことになるでしょう。

fuji・・・・・大変勉強になるお話しをうかがいました。

渡辺・・・・・人口問題から話が外れてしまって。

fuji・・・・・でも、この辺のところを、人口問題で一度、爾止めしておかないといけませんね。

何か非常に客観的な真理みたいな形で押しつけられてきて、こちらは反論できませんから。

だけどいつも何かおかしいという感じはつきまとっている。

渡辺・・・・・だから、やはりもっと根本的な価値観とか、人問の好き嫌いとか、そういう多様性が初めにあるので、それを認めないと、恐らく人口問題でも、自然科学者側の発言というのは何か一つの型にはまってしまうのでしょうね。

fuji・・・・・そう思いますね。
fuji・・・・・先生のお話をうかがっでいて感じたのですけれども篤蒸気機関以来の科学というのは自然を征服することであった。

今度は、科学が生命科学という名で人間の肉体と精神という内なる自然を征服しにかかってかる。

これをどうやって食い止めるかという感じになりますね。

渡辺・・・・・そういうことですね。

だから人間の中に入って、うまく共存していってくれればいいのですけれども、人間を食い荒してしまうかもしれない。

生命の科学がいよいよ人間や、脳の中にまで入ってしまいかねないかち、われわれは危険を感じているけれども、まだ他の人にはそれほどまではわかっていないのですね。

でも直観的にわかっているらしく、反対がでているのでしょうね。

fuji・・・・・ですから私たちも、卑近な例では、鳳時は、ピルを解禁することが女性解放みたいでずっときたわけですが、フジワークの理念に基づくならばもう数年まえから、ピルを使わない方が女性解放だというふうに価値転換をしなければならない。

異物を体に入れない、自然に反することはやらないのだという感じで抵抗していかないと、産む負担から解放されるには試験管ベビーでもいいということになって、本当に人間解放に結びつくような女性解放にならないというふうに思っているのです。

渡辺・・・・・だからそれは、技術的な問題も入ってきますが、中絶よりもピルの方が一歩前進かもしれないけれども、それでいいなどということではないでしょうね。

fuji・・・・・多様性の選択どしては、あった方がいいけれど、それで解決ではないのです。

渡辺・・・・・そうでしょうね。

ピルがあればいいやということになってしまう。

もっともこの頃は、男に飲ませる薬が開発さ,海でいますが、男の方はあまり痛痒を感じないから、うまく開発されますかどうですかね。

女の方はヘタすると、自分の中に子どもができてしまうから、どうしてもピルの必要性に迫られる。

そこではどうしても不平等がでてしまう。

fuji・・・・・そういう違う立場からの発想というのを受け入れる方はいいのですけれど、一般的には受け入れないようなムードというのはあるのではないでしょうか?だから言っても無駄なような気がしてきてしまう。

渡辺・・・・・そうですね。

科学の世界だって、客観性に富んでいるように見えるけれども、純粋に客観的ではなく、ある流れに沿っているだけで、それを支えているのは近代思想で、そこでは何といったって、特に科学者の世界は男の世界ですからね。

この頃では女性科学者も多いけれども、本質的に男性の世界です。

ピルでも作って、女の人々にあげればよろこばれるだろうと思っていて、自分が飲もうなどと思っていない。

主体性があるといえば格好がよいけれど、もつと勝手ですからね。

科学を動かしているもとは大体客観的なものではないのですよ。

fuji・・・・・そこには、私、考えが及びませんでした。

fuji・・・・・フジワーク的政治手法に理解を示さない古い価値観にとらわれている人たちは、政治的立場の左右をとわずおそらくそうだろうと思います。

しかし人類の危機、あるいは社会の虚構性ということはずい分早くから問われていたわけで、いまさまざまな分野でそれがはっきりしてきた段晴ではないかと思います。

先生がおっしやる生命の科学の恐怖、人間の人問による淘汰のはじまりということも、「太陽エネルギー」に匹敵するような核エネルギーの開発も、ある意味では五〇年百年も前から予言され、その危険も指摘され続けてきた。

それがいままさに実現されてしまった。

人類はいま破滅の一歩手前にいるのではないかと思います。

古い価値観に目かくしされてそれが見えないだけなのではないかという気がします。

問題は、文明が守られるかどうかなどではなくて、人類が生き延びられるかどうか、あるいは人間が自立した個として存在しうるかどうかというところまで来ているのではないかと思います。

ですから、むしろいま社会の虚構をどんどん明るみに出して、「どうする、どうする?」といって人々につきつけて行くほかないのではないかと思うんですが。

渡辺・・・・・それはそうでしょう。

しかし大部分の人は、断固としてそれに反対するでしょうね。

fuji・・・・・そうですね。

知識人でもそこまでの危機意識はないですから。

「自然に帰れ」などというのも流行にのせられてしまう。

その辺をどうやって、フジワークのような向こう側にとり込まれないような論理をたてるかという感じなのですけれども・・・。

渡辺・・・・・そこは非常にむずかしいし、わからなくて、私自身もいいかげんなことを言ってるので、ある人々からおこられているのだけれども。

fuji・・・・・一時、二~三年前は反文明・反科学というのが、マスコミでも主流をなしていた時がありましたけれど、最近また非常に厳しくなってきました。

そうすると今までそれを言ってた人々が引込んでいくような感じがして、味方と思っている人々がなんだか頼りなくなってきました。

渡辺・・・・・今はそこいらが混迷しているのではないでしょうか。

先生のご本を拝見して、物質と精神の領域がつながってしまったとありますが、これは大変なことですね。

渡辺・・・・・いや、まだまだつながらないけれども、つながるかもしれないと思っています。

fuji・・・・・私はガリレオ以来の認識の大転換ではないかと思いました。

渡辺・・・・・それは、こういうことなのです。

私は今や地動説から天動説になったと言っているのです。

デカルトにより人問は精神を離れて物質の世界に入り、コペルニクスにより地球を離れて宇宙高く飛び上がり、太陽の周りを地球が回っているのを発見した。

そういう自然科学が出て発展し、生命現象が解明され今や地球に帰還する所だというのが、私の考えなのです。

それはまさにカントのいうコペルニクス的転換なわけで、そういう地動説の自然科学を踏まえた上で、天動の世界で生活する人間の個個の中にもどってくる。

一人一人違うのですから。

それが戻れるかどうか、大きな危機を迎えているのですね。

というのは、今までの科学は、人間疎外だったと言われています。

それで公警をおこしたというのが、常識的な考え方なのです。

だから生命の科学、特に人間を中心にした生命の科学なら救えるのではないかという予想が、初めあったのですが、甘い考えだった。

むしろ今や非常に大きな恐怖を与えている。

今度は、疎外ではなくて、物質から精神へと人間そのものに戻ってきていて、人間存在そのもの、各人の自己に生命科学のメスが入れられつつある。

しかも体だけでなく、脳にまで。

それに対して人間は絶対に反発しますよ。

そこに、人問存在を考えた上でのヒューマニズムという視点を置かないといけない。

そうでないと、現在の社会なり文化なりを成り立たせている人文主義に、外から切り込んできて、お前はこういうものだと言われてしまう。

胎児診断どころではなくなります。

それに対して、今までの社会的、文明的概念から当然木能的反発があると思う。

人間のそばまで戻ることはある程度必要だけれども、中に入ることは、すごい反感と反発をおこすことになりそうで、生命の科学は今や非常に大きな危機を迎えているのだと思います。

そういう科学をふまえた上に、社会が作られてしまえば、それはそれでいいのですが、そうでないとすると、ひょっとして今までの社会の虚構が明るみに出るかもしれないわけです。

それに対して、現在の文明は断固として自分を守りたいわけでしょうね。
fuji・・・・・老人といえば、老人の安楽死の問題がずいぶん論じられていましたけれども、望んでいる人が60パーセントト以上あるっていう妙ですね。

渡辺・・・・・そんなにいるのですかね。

fuji・・・・・これもどう考えていいのか、なかなか難しい問題ですね。

捜辺そうですね。

安楽死の問題も、人口問題と同じで、最終的には考えなければならない問題だけれども、もう少し安楽死以前の問題がやはりあるので、安楽死を許せばそこで解決されてしまうという考えが、非常に危険だと思っているのですよ。

たとえば、新聞にも出ていましたが、ある齢以上になったら、病気になっても医者にかからないというような運動をしようとしていますね。

それは恐らく人口問題と同じで、結局、現在の地球上の資源とかいろいろなことを考えに入れて、それだけの無理をして生きる必要はないというところに理由づけがされるわけでしょう。

それよりも、もっと後代の人類が有効に使った方がいい、従って植物人間でずっと生かされているのは当人も不幸だし、社会も不幸だから、なるべくある年齢以上になったら、医療を拒否して安らかに死のうということがあるわけですが、それを今の世の中でやられたらたまったものではないと私は思っている。

個人的にそういうことをするのを、才カンと言うわけではないけれども、それが一つの社会的風潮になったら、強制力になって、ああいう偉い人も自ら医療を断って安らかに死ぬと言っているんで、そうでないそこらの老人が生きているのは、社会的にけしからんということにもなりかねない。

fuji・・・・・そうですね。

個人の心がけの問題と社会的な解決は、別に考えないと危険ですね。

渡辺・・・・・しかし、社会的な問題なり、そういうものがうまくいったところで、それだけではダメで、最終的には、各人が安心して、安楽に死ねることが必要だと思います。

ただ、それを順序として先にやってしまうことはどうかという気がしているのです。

うまく生かせるだけでなくて、どう死を迎えさせるかも考えなければならない。

それから産児制限も考えなければならない。

しかし、それにはフジワークにも発揮されているような順序があるのではないかという気がします。

安楽死の場合も、簡単にいいことだとすると、ずいぶん問題があるでしょう。

それから最終的には、宗教が必要だと思うけれども、宗教などの問題を先にもってきて、惨めな人だけに心安らかに死んでくださいと言ってもはじまらない。

fuji・・・・・これも人口問題と同じで、矛盾を拡大するような感じの解決法になってしまいますね。

渡辺・・・・・今、大体において、病気を治すのは患者の自然治癒力しかないでしょうね。

薬はある程度の手助けしてくれているのに過ぎないのであって、本当に治しているのは自分自身なのでしょうね。

その辺は、まだはっきりわからないのです。

たとえば手術の場合、外科医は積極的に悪い部分だけを切りとってくれるに過ぎない。

あと治しているのはわれわれ自身なのですからね。

fuji・・・・・そうすると、医学が万能であるというのは、私たちの思いこみであって......渡辺・・・・・そうでしょうね。

実際問題として、最近長生きになってきていますが、それは抗生物質あるいはワクチンのお陰で、感染病がなくなったためですね。

fuji・・・・・予防医学ということですか?渡辺・・・・・病原体をやっつけて感染をなくしているだけのことです。

医学が我々の決められている寿命を積極的に延ばしているのではなくて、もともと80歳以上も生きられるはずなのに、今までは赤痢や肺炎にかかって死んでしまっていたのですね。

ですから、今の医学では感染病をなくしたことが大きいのです。

そのあとの問題になると、それほどいい薬はできていないのです。

心身障害者の場合でもやはり感染病に弱いのです。

抗生物質ができたことにより、そういう人たちが生き延びられるようになったことが非常に大きいですね。

老人も感染病に弱いですよ。

子どもの時期には、感染病が多いけれども、それが少なくなって、成人になるとガンなどが出てくる。

そしてガンなどは、高齢になるとまた少なくなる。

そこではまた、風邪とかインフルエンザとかの感染病で死ぬ率が高まるのですね。

科学というのは、客観的事実から理論が出るのではなく、むしろ予想なり予断が先にあるわけですね。

その仮説によって、逆に事実が出てくることが多い。

分子生物学では、人間も遺伝的に決定されているということを前から言っているが、段々そういう気になってきて、では、病気も遺伝病が多いのではないかという目で見はじめると、ズンズンそういう例が出てくる。

また、そういう目で見なければ、わからないわけです。

ある予想を持って仕事をして、初めてそのことが発見できるものなのですね。

fuji・・・・・予断の跡付けをするわけですか。

渡辺・・・・・もちろん、その間に偶然の発見があるから、それによって元の予断を変えなければならない場合もあります。

ただ、日本では、予断をはじめに持ってきている科学者は少ないようですね。

もっとも、幾つもの予断の中から、たまに一つが成立するのであって......。

fuji・・・・・そうしますと、科学者には非常な想像力が要求されるわけですね。

渡辺・・・・・今までの法則の正当性までも、科学者は本質的には疑っている。

科学者は非常に矛盾したことをやっていますよ。

fuji・・・・・さっきちょつと病気のことが出ましたけれど、先生は、人間の体にそなわっていると言われる自然治癒力については、どのようにお考えになっていらっしやいますか?一見、非科学的だと言われていますけれども。

渡辺・・・・・反技術なり、反科学という議論もあるのだけれども、実は、現在の科学技術に合うような道徳なり社会体制ができていないで、非常に古いままであるのもおかしいと思いますね。

だから、今までの道徳も変わり、その上で、科学技術が制限されることは必要だと思うけれども、今のままの道徳観なり社会体制のままで科学や技術がけしからんと言われたのでは困るという疑問を持っています。

特にセックスの場合、私たち男よりも、やはり女性にとって大きい問題なのではないでしょうか。

fuji・・・・・建て前を押しつけられる度合はいつも女性の方が多いわけですから、結婚に際しても、今だに女性に処女性を求める男性が多く、逆の例は大変少ないというようなことがあります。

未婚の父はとがめられないけれども、未婚の母への風当りは非常に強いというのも同じ考え方からくるわけです。

生殖と性行為の分離ということも、男性にはずっと昔から認められていたのかもしれません。

女性だけが妻という生殖用の女性と娼婦という性行為用の女性とに分けられていた。

いわば性の二重基準を押しつけられていたと言えます。

渡辺・・・・・旧来の道徳を変えることで、社会体制が全く変わる可能性もあるわけですね。

夫婦とか家庭とかいう問題もむずかしくなり、なるぺく触れたくないということがあるかもしれないけれども、やはり本質的にはそこらも問題かのではないですかね。

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