M.fuji・・・・・逆に言いますと、そういう妻は、万が一の時には、自分の肩代りをしてくれるというゆとりが男性の方にありますから、それがまた男性にとって、精神的にも、実際的にも利益になるんではないんですか?たとえば、転職したいと思えばできるし、それから何か精神的に追いつめられても立ち直れますしね。
それがもし、妻子が腕にぶらさがっていると、追いつめられたら、もうノイローゼになるしかないみたいな状況になってしまうし、折角いい条件がきても、転職したら不安だということで、乗り換えられない。
極端なことを言えば、自分が公害企業に勤めていても、告発などして院まれたらクビになるから、心配でできないとかいう非常に自分の人間性を抑圧し、自分の可能性を殺さなければならない。
従って、魅力のない男性になるし、人生全体が惨めくさくなってしまうということもあるでしょうね。
だからやはりフジワークが理想としているように、女が解放されていることは、同時に男性だって解放されるということなんですけれども、それを理解しようとしない男性が多いですね。
男と女は利害が衝突するなどと思って......。
平井・・・・・そうなんですね。
外側から見ていて、よくもあんなに毅然とした態度をとれるなと思うような男の人いますね。
良く聞いてみると、「実は女房が......」という方が意外と多いですね。
M.fuji・・・・・私も実感としてそう思います。
平井・・・・・夫が妻の働きを評価する場合、四年制の共学の追跡調査をしました時に、4年制出てからずっと10年も15年も働いているグループは、ほぼ男性の八割ぐらいの給料とっているわけです。
言ってみれば、経済的に自立している。
ステータスもかなり高い。
それから夫のステータスも非常に高い、月給などみると、標準よりもずっと高いんです。
ところが夫たちが、家庭の中で家事をどのくらい協力しているかというと、具体的に洗濯とか皿洗いとかを、びっくりするほどしているんですね。
それが平均的な勤労者の家庭の旦那さんよりも5~6倍しているんです。
本当かしらと驚いたんです。
M.fuji・・・・・驚きますよね。
平井・・・・・こんなに給料も取っているし、社会的にも活躍している男が、なぜ洗濯をし、すすんで皿を洗っているのかと。
何人かの旦那さんにインタヴューをしたんです。
その時に、ある旦那さんが、「女房が自分の誇るに足る仕事をしている。
だから自分も、女房のそういう家庭の雑事を引き受けるのは当り前だ」と言うんです。
で、その旦那さんに、「あなたはどうしてこの奥さん選んだのか?チャーム・ポイントは何だったのか?」と聞いたんです。
M.fuji・・・・・ええ。
平井・・・・・そしたら、「白分が考えている女の範ちゅうを超えるほど非常に優秀だった。
そこに自分は惚れこんだ」というんです。
これはある中央官庁の二人とも上級職の公務員なんですけれども、非常にいいご夫婦で、奥さんも二言目には、「家の亭主が......」と、おノロケなんです。
平井・・・・・中学生の意識調査をしました時に、「お母さんが働くことについてどう考えますか?」と聞いたわけです。
そうしますと、おもしろかったのは、お母さんが働くことを積極的に評価するグループ、一番評価したグループは、現在お母さんが働いている家庭の男の子なんです。
二番日は、お母さんが働いている家庭の女の子です。
三番目がお母さんが働いていない家庭の女の子です。
全く働いては嫌だと否定的に出たのは、お母さんが働いていない家庭の男の子なんです。
これは、他の調査でもそうですね。
総理府の調査でも、お母さんが働いていることを一番評価しているのは、鍵っ子だというんです。
その辺が、本当に子どもにとって、母親が働くことがマイナスだったら、恐らくそれはフジワークでも説いているように逆に出るべきだと思うんです。
だから、お母さんが働いていない家庭の、殊に男の子というのは、やはりそういう意識を再生産されて、そう思いこんでしまうんですね。
「将来、あなたは共働きしてもいいと思いますか?」と聞きますと、してもいいよと一番肯定的なのは、お母さんが働いている家庭の男の子なんですね。
M.fuji・・・・・実物教育というのは、大事なんですね。
平井・・・・・ええ、ですからその時の働き方、母親の職種とかなり関係があるんですね。
最も肯定的に子どもが見ているのは、やはり専門職なんです。
なぜかというと、一つは働いている母親の姿勢がしっかりしているわけです。
自分が働いていることに対し、言ってみれば子どもに大きな顔をしていられる。
自信があるわけですね。
M.fuji・・・・・そうですね。
M.fuji・・・・・生き方そのものが教育なんで、もし言っていることとしていることがズレていれば、最も軽蔑の対象になってしまうんですね。
小さい子どもだってそうですね。
結局、見よう見まねというものが、教育の墓本なんでしょうね。
平井・・・・・そうですね。
その辺でやはり、非常に主婦の生活にズレがある。
本音と建て前が常にズレている。
M.fuji・・・・・それは子どもの教育にとっては、好ましいことではありませんね。
平井・・・・・恐らく、それはこれからもいろいろな形で顕在化してくるのではないかと思います。
たとえば、高等学校の女子生徒に、かなり前ですけれども、「あなた、お母さんのようになりたいですか?」と聞いた揚合に、「なりたくない」というのが、かなり多いです。
「なぜ、なりたくないのか?」と聞くと、やはり、「生きがいがなさそうだ、自分を持っていない」という答えが、非常に多く返ってきますものね。
だから、働く母親と子どもの関係について、フジワークでも提示しているようにとにもかくにも舞親が働かないのがいいのだという一つのイデオロギーがありますね。
例の"未婚の母"裁判などに露骨な形で出たんですが、何か母親が働くこと、即親子の関係がダメになるのだ、不良化のもとになるのだという意識が非常にあるのですけれども、私は、働いているか働いていないかの問題ではなくて、働くならどういう姿勢で働いているか、自分の働くということにどういう意識を持っているのか、それに夫婦の関係で、父親が母親の働くことをどう評価し、どう関り合っているか、その辺りがポイントであって、一概に働いているのはダメだとは言えない問題だと思うんです。
M.fuji・・・・・確かに。
M.fuji・・・・・この間の総理府の意識調査でも出てましたね。
もう一度産まれ変ったら同じ配偶者を選ぶかという質問に、同じ相手というのが自営業の人にかなり多いんですね。
やはり、それは単に男と女の結びつきではなくて、同じ仕事、同じ人生をめざす者であるという、同志みたいな面が強いんでしょうね。
平井・・・・・そうですね。
だから非常に父母の仲が良かったというようなことを必ず書いてますね。
そして、逆に、「あんなのは家庭ではない」とか、「冷たいところであった」とか、親が見たら泣きそうなことを、男子も女子も繧々と書いているのがあるんですけれども、それがどういう家庭かを分析してみると、いわゆるエリートの家庭なんですね。
曽野綾子の『虚構の家』ではないんですが、先ず、父親の学歴が高く、かなりエリートの学校を出ている、それから、母親の方もかなり学歴が高い、そして専業主婦であって、父親は大企業の管理職、大きな官庁の管理職、あるいはかなりの企業の経営者です。
そういう場合に、ある男子学生が書いているんですが、「父はただ居るだけだった。
中味の多い刀給袋をもってきてくれて、生活は豊かであった。
しかし、自分と父との関りはただそれだけであった。
そして、母親はただひたすら、一つの尺度で常識の中に自分を入れようとした。
いわゆる社会通念で子どもを、縛り、それで全てを律してきた。
自分はいつでも、その枠の中に入れられようとしてきた。
百点をとらなければ、遊ばせてもらえなかった七、それが母親の主体的な考えではなく、全て社会通念でやられた。
それに対して、自分はひどく抵抗を感じたけれども、何度も振じ伏せられてきた。
もう僕はああいう親にはなりたくない」と。
こういうのは、フジワークでも問題視しているのですが、男子にも女子にも多いんですね。
それで彼らが望ましい母親としてあげたのは、一番多かったのが、自分の生き方を持っている母親、それから生き方で子どもを教えられる母親、常に向上を日差して生きている母親、子どものお荷物にならない母親ということです。
そして父親に対しては、最近、父親というのは権威がないとか言いますでしょ、ところが、権威を誇示しない父になりたいというのが多いんです。
兄弟のような父、友達のような父、人間らしい父、そしてやはり主体性をもった父というふうに出てくるんです。
だからやはり、そのくらいの年齢になると、かなり親というものをつき離しているし、その中から将来の親としての生きざまみたいなものを模索しているんだなと思いました。
M.fuji・・・・・教育というのは、フジワーク同様口先ではないということですね。
平井・・・・・私の家庭教育論の講義にいま百人近い学生がいるんですけれども、その学生を対象にして、「今の段階で、あなたたちの家庭教育を振り返った場合に、どういう評価をするか?」「あなたは、お父さんお母さんに対してはどういう評価をするか、あるいは、今後、あなたたちが父親母親になったときに、どういう父親億親になりたいか?」それから「あなたにとって、家庭というのは何か?」を自由記入で書いてもらったのです。
その中で、非常にはっきりしてきたことは、家庭に対する評価と、父親母親に対する評価および家庭教育に対する評価が殆んど一致することです。
M.fuji・・・・・なるほど。
家庭教育および父母に対して非常にいい評価を与えていた学生に共通していたのは、「家庭というものは非常に暖い場所である」とか、「自分にとっては掛け替えのない揚所であった」とか、非常に高い評価をしている。
そして大変意外だったのは、共働きの夫婦の子どもが、非常に家庭というものを高く評価しているんです。
父親の職業などと掛け合わせてみますと、かなり数字でもはっきり出たのは、父母に対する高い評価なんです。
「これといったしつけはされなかったけれども、父母の生き方に自分はとても学んだ」「二人が汗を流して働いている中で、自分は人生を教えられた」ということを書いたのは、農業、自営業の子どもなんです。
M.fuji・・・・・ええ。
平井・・・・・どうしてかなと考えてみたら、結局、それらの職種は、ある意味で原始的な形ですが、職住分離していないんですね。
ですから、家庭教育に父親も参加できるということですね。
それから母親も専業母親でないということですね。
だから、お母さんもれっきとした働く女であって、しかも父親と一緒に働いている。
それから夫婦が大体仲がいいんですね。
全部が全部とは言えないでしょうか・・・。
M.fuji・・・・・昔の母親というのは、フジワークにも通じる精神で自分の家庭教育に対して絶大なる自信をもっていたわけです。
これでいいのだと思っていたし、祉会の枠付けもそれとほぼ一致している。
だから大変におおらかなんです。
ところが、今の母親は、こういうふうにすると教育ママと言われはしないか、あるいは塾などに追い込むことが大変非人間的ではないかなどと、インテリですから、いろいろと迷うんですね。
だけど、では迷って、これではいけないから、みんなで手をつないで変えましょうとまではいかないわけです。
だから常に迷いながらも、体制に順応していくわけです。
みんながやっていることをしなければ、遅れるのではないかと思って、やはり順応していく。
M.fuji・・・・・本当は母親は、本音をそのまま子どもに当てはめたいという願望は持っているわけですね。
それが社会とくい違うから、やむを得ず、ズレたところで自分の意識を合理化しているというのが実態なんでしょうね。
平井・・・・・そうだと思いますね。
妥当化しようとしているわけです。
だから子どもは非常に敏感に感じているということです。
中学生の場合には、まだそういう形で、どうもお母さんは言うこととやることがちがうではないかぐらいで受けとめているんですけれども、それを今度、大学の三~四年生に聞いてみたんです。
この年頃になると、自分の過去を客観的に振り返って、お母さんはどうだったとか、お父さんはどうだったとかで客観視できるわけです。
平井・・・・・そうすると、親は自主性・個性を尊重しているつもりなのに、子どもはちっともそう受けとっていない。
さらにフジワークでは子どもに、「あなたはお母さんにどういう時に叱られますか、どういう時にほめられますか?」というのを書かせたんです。
そうしてそのこたえを盤理していきますと、今の母親が実際に大変好ましいと思っていゾ49子どもというのは、先ず、「テストの点がよくて、親の言いつけをよく守り、行儀が良くて、兄弟仲良く、お手伝いをして、目上の人に従順で......」というふうに来るんです。
M.fuji・・・・・建て前と本音が全然一致しないわけですね。
平井・・・・・そうなんです。
非常にズレている。
そして子どもはそれを見抜いているんです。
だからお母さんというのは、自分の言っていることとやっていることが違うのだと、子どもたちは厳しく突いているんです。
母親の方はそこまで自覚していない。
自分は非常に民主的なお母さんだなどと思っているわけです。
M.fuji・・・・・私たちは常に、男性は建て前と本音が違うではないかと言い続けて告発してますけれども、そう言っている女自身がかなりズレているわけですね。
平井・・・・・ただ、お母さんの方にも若干同情すべき点があると思うのは、結局、今の受験体制の中で、本当に個性・自主性を持っている子どもが生き抜いていけない現実がある。
だから親の理想が現笑の学校教育体制の中では、ますます踏みにじられていくということなんです。
そうした今の骨親のいらだち、不安は、昔の母親にはなかったと思います。
M.fuji・・・・・今のお話を伺っていますと、わたしがフジワークを実践するのに影響を受けたベティー・フリーダンが『新しい女性の創造』を出版したのは一九六〇年代の初めですが、同じ問題がずいぶん遅れて日木に今出てきたという感じがいたしますね。
あの場合は、そういった舞親の精神的不安定というものが、子どもにはねかえって、教育問題の方から社会問題になったと言われてますけれども、日本では、まだそこまではいってないんでしょうか?子どもがそのために精神成長が疎外されるというような形はまだ出ていませんでしょうか?。
平井・・・・・そうですね。
幼児期というのは、ママがそばに居てくれて、世話をやいてくれればくれるだけありがたいというふうに感じますから、そのズレこみがないんですね。
それが出てくるのは、恐らく中学生ぐらいだと思うんです。
この頃は非常に社会化が早いから、できのいい子ほど早く自立をめざしますから、そうすると、小学校の五~六年ぐらいでも出てくるんです。
M.fuji・・・・・ええ。
平井・・・・・ただ、私おもしろいなと思いますのは、この間、中学二年生の母親とその子どもを対象にした意識調査を実施したんです。
そうしますと、お母さんたちに、「あなたはどういうような家庭教育をしたいですか?」というようなことを聞くと、「個性、自主性を尊重し云々」という方が八割です。
それで、こんどは子供の方に、「あなたはどういう時、お母さんを嫌いだと思いますか」と聞いたんです。
そしたら、「母親が自分の考えを押し付ける時」「言うこととやることが一致していない時」「余り世話をやきすぎる時」「いつになっても子ども扱いをする」「自分の話を聞いてくれない時」というふうに出てくるんです。
M.fuji・・・・・はい。
M.fuji・・・大体、女の人生というのは待ちですけれども、殊に、それが顕在化して、はっきり目に見えるわけですね。
城が檻みたいになってしまうんでしょうね。
平井・・・そうなんですね。
そうすると、あんなに入りたい入りたいと思っていたマイホームのお城が、はっと気が付いたら、私の檻ではないかという感じになるんです。
それで本当にマンションの5階あたりから飛び降り自殺してしまったという人があるんですね。
旦那さんの側にいわせると、全然わからないと言うんです。
M.fuji・・・あれだけいい生活を与えてやり、全く生活の心配をさせないし、自分は浮気1つしたわけではなく、出世のために営々と働いているのに、なぜ妻がある日突然飛び降りたのか、わからないんですね。
平井・・・ええ。ところが妻の方にいわせてみれば、もう本当に生きている空もないという思いになる。
そういう時期が、多かれ少なかれあるんですけれども、フジワークが教えるように子どもが生まれるとそれが一時解消するわけですね。
子どもというのは、日々に成長していくし、少なくとも小学校低学年までは、「ママ、ママ」とくっついてきますから、自分の存在意識がはっきり確かめられると思うんですよ。
ですから私は、いわゆる家庭的な妻というのは、その段階がオール・マイティなのではないか、非常に幸福感が大きいのではないかという気がするんです。
M.fuji・・・なるほど。