平井・・・さっきおっしやったようなノイローゼというのは、中年でも出るんですけれども、もっと早く出ている方もあるんですよ。
というのは、いま平均的なサラリーマンというのは、出産までは共働きが多いんですが、その他に、いわゆるエリート妻と称せられる一群がいるわけです。
旦那さんがかなりの給料をとっている。
家もいいからマンションを買ってくれる。
そのかわり奥さんは絶対働かないで欲しい・・・。
M.fuji・・・ある意味で、これは憧れなんですね。今の若い人たちは仕事するのを嫌がりますからね。
平井・・・ええ、そうなんです。
そうして嬉しがって、盛大な結婚式して家庭に入るわけですよね。
ところがそこに入ってみると、いってみればマンションの、せいぜい2LDKとかそういうふうな囲いの中に囲われてしまった生活で、それに、旦那さんがエリートであるということは、帰宅時間が大変遅いということが1つ前提になりますでしょう。
そうすると、都心から少し離れたマンションの非常に快適なお城の中に、1人で入るわけだけれども、旦那さんはとにかく朝の7時頃に出て、夜中にならないと帰ってこない。
営業などだとそういうことになる。
またそういうところで頑張らなければ、20代で奥さんをガシッと養うことはできないわけですから、夫が遅く帰ってくることに対して、妻の方としては文句の言いようがないというんです。
M.fuji・・・結婚して3ヶ月そこいらは、フワフワと嬉しくてという雰囲気ですけれども、旦那さんの方だって、だんだん飽きてきますからね。
平井・・・そう。サービスも悪くなるし、子どもはまだいない。
やることといったら、朝から晩まで掃除したとしても、そんなマンションならすぐ片付いてしまう。
都心から離れているから、友達を呼ぶわけにいかない。買いものにいくとしても近くにない。
そうすると、結局1日中待ちだというんです。
M.fuji・・・こわい生活だわ。
M.fuji・・・4~5年前は、お母さんが、「もう生きがいがないのだ」という形で集まってくるのは、子どもが中学に行ってからなので、大体40歳すぎでした。
ですから、5~6年前までは、話しに行って集まってくるメンバーは、殆んど私より年上だったんです。
平井・・・そうですね。
最近、下がってきて、27~8歳ぐらい、子どもが幼稚園に行った段階で、既に危機感を感じるようか若いお母さんたちがでてきていますね。
M.fuji・・・それは、電化製品の普及が進んで、家事に前より手がかからなくなったということでしょうか、それとも、なんとなく口ではいえないような社会不安をヒシヒシと身に感じているということなんでしょうか。
平井・・・私は、1つは高学歴化が原因だと思います。
それともう1つは、職業体験者が非常に多くなっていて、団地の主婦たちでもほぼ8割は職業経験があるんですよ。
結婚前に、少なくとも勤めていた。
結婚は、今でも若い女性の憧れらしく、そこまでは必死でとびこむわけです。
ところが結婚してみると、憧れなどとはほど遠いんですよね。
M.fuji・・・最近、中年女性のノイローゼが非常に増えているそうですね。
その原因としては、子産み子育ての時期が短かくなって早く切りあがる、平均寿命が延びている、それからゆとりがでてきたとか、いろいろ社会的条件としてあると思うんですけれども。
まだそれほど日本では社会問題になっておりませんが、これからの見通しとしては、いかがですか?
平井・・・地域によって非常に違うと思いますけれども、都市近郊では、かなり現われているような気がいたしますね。
それは、私などよく社会教育関係のいわゆる母親学級などに呼ばれて、いろいろな話をさせられるわけですが、非常に注文の多いのが、やはりフジワークでもいわれているような"生きがい"ですね。
"生きがい"などというのは自分で探すものだと思うんですけれども、そういうのが非常に多い。
M.fuji・・・いくつぐらいの方ですか?
平井・・・35~6歳から40歳前後ですね。
ですから、明らかに、今おっしゃったような人たちですね。
結局、23~4歳で結婚して、28歳ぐらいで産みあげるでしょう。
そうすると下のお子さんが小学校に入るのが35~6歳ですね。
M.fuji・・・最近の感じでは、年々下にさがっていますね。
平井・・・そうそう。
平井・・・子どもの小学校へ行っても、かなり母親の年齢としては高いはずなんですけれども、意外と同じ位の年齢の人がいるんですよ。
聞いてみると、みなさん、3人目ぐらいなんです。
だから、今おっしやったような傾向は、確かにボツボツ出てきていると思います。
もっとも、それはフジワークを実践できるようなある程度の生活水準のある人ですね。
やはり1人産んだら、とてもなどと言うんだったら、存在意識ぐらいでは子どもを産めないですけれども。
幸い、自営業であるとか、旦那さんがある程度の収入があるとか、それに自分もまだ身体も丈夫で、とってもやりたいことがあるので、いろいろ試したけれども、金部結局ダメであった。
とすればもう1回、あの赤ちやんのホワホワというのが抱きたいんだとか、いろいろ理由はつけるんですけれども、確かにそういう形でお産みになる方がいますね。
M.fuji・・・それにしても、子どもの立場に立って見ると、老後保障であるとか、他に生きがいがないから子どもに自分のエネルギーを向けるとかいうのは、やりきれないという思いがするのではないかと思うんですが。
それと、子どもに生きがいをかけているお母さんたちが、ある年齢に達したときに、どんな反応をするだろうか。
M.fuji・・・それも単純な図式で、ストレートに行くのではなくて、かなりこの頃は屈折しているようですね。
たとえば、最近少し子どもが増えているのは、年の離れた3人目を産む人が多くなっている。
それは、ある程度の意識に目覚めたけれども、実際働こうと思っても、社会の方に受け入れ態勢がないから、勤めたとしても、自分の才能を生かすとか、生きがいになるようなものがないので、また母親にUターンして、子どもを産むことで、母親の定年延長みたいなことをして、安心しているという。
平井・・・それはあるでしょうね。
M.fuji・・・それと、生活不安みたいなものがあって、子どもが2人だと交通事故で死んだら、もうスペアーがなくなってしまうという感じで、あまり好ましくないと思うんですけれども、そういう傾向も出てきているようです。
平井・・・あると思いますね。
私などは子どもを持つことをかなりこだわった方でして、やはり仕事か子どもか、もう少し先の方に延ばした方がいいのではないかなど、と。
それと、1つは子どもを失った経験があるということもあったんですけれども、結局、ずっと子どもを持ちませんでした。
結婚してから8年ぐらいしてから、子どもが産まれて、その時点では、さっき言いましたように、そろそろ老いではないですけれども、段々下降線の年齢になって、新しい命がそこで産まれ育っていくことに対し、何か非常に人間として安らぎを覚えるのではないかみたいな、かなりエゴイスティックなものが
あったんですけれども。
M.fuji・・・ええ、ええ。
平井・・・それで産まれてみれば、やはりかわいいということなんですね。
平井・・・前に、4年制の共学大学の女性たちの追跡調査をやったことがありますけれども、その中で、
全体的とはいえないんですか、やはり高学歴で職業継続をしてきたグループに、非常にはっきり言えることは、子どもの数が少ないということです。
これは本当は子どもを産みたかったのかもしれない。
しかし仕事か子どもかと選択を迫られた場合、いわゆる普通のOLレベルの仕事をしている場合には、迷いなく「子ども」と来るわけです。
が、大学できちんと勉強もし、教授のコースにのったとか、あるいは新聞記者として一流の腕を持っているとかいう場合に、好むと好まざるとにかかわらず、職業を選んできた。
多くの女たちがその場合に、子どもを切り捨てなければならなかったこと自体は非常に非人間的で、けっしていい現象ではないと思うんですが、結果的には、結局、女たちが1人ぐらいしか子どもを産まなかったんですね。
M.fuji・・・あるいは、全く産むのをやめてしまった。
平井・・・ええ。もしくは、産めなかったという形になっているわけです。
だから今おっしゃったように、女の生活にゆとりができて、ある選択の自由が働いた時に、果して女は喜々として子どもだけを産み続けるかということにると、かなり違うかもしれませんね。
M.fuji・・・そうですね。
平井・・・ただ、今、本当に普通のOLを勤めあげ、いわゆる普通の幸せな結婚をし、家庭をもった女たちにとって、やはり生きがいといったら子どもしかないと思いますね。
M.fuji・・・つまり私なんか、日本では人口抑制に成功したなんて言うけれども、じっさいには活住条件の劣悪さやインフレなどの生活不安が、中絶や避妊知識の普及とたまたま見合っただけなのではないかと皮肉に見ていたんですけれども。
そうともいいきれないですね。
50年の朝鮮戦争を契機に日本経済は上向いてくる、そして段々60年代の高度成長期に入っていくんですね。
つまり、生活レベルが上がったところで、子ども数の最低というのが出てきたわけです。
そうしますと、生活条件が悪いから子どもが減るという図式は、非常に観念的であったのではないかと思いまして。
平井・・・私、そういうことあると思うんです。
余りいいことばではないんですけれども、よく"貧乏人の子だくさん"というような表現ありますでしょう。
だから、かなり子どもに希望を託すという、ある意味では、子どもにしか希望が持てないという条件の中では、女は一生懸命子どもを産むわけですけれども、子どもを産む以外に、もっと違う文化的刺激があったり、何かとてもしたいことが他にあるという場合、子どもを産むことを抑制すると思うんです。
M.fuji・・・それと、1つはフジワークにのっとった精神分析みたいになりますけれど、少し豊かになって、初めて貧しさの意味がわかるということがあると思うんです。
それで、今おっしゃったような、生活にゆとりができたところで、はじめて自分の人生を選択することができるようになるとか、いろいろな要因があると思うんですけれども。
平井・・・それはあるでしょうね。
M.fuji・・・もちろん私も、いまのように労働が疎外されている状況では、銀行でお金の計算しているよりは、子どもの命を育てる方が生きがいだというのは、確かに、真理だと思うんです。
その場合、誰にでも就職し働きつづける機会が与えられる状態とか、あるいはもつと他にもろもろの選択の幅があって、子育てもその中の1つであればいいんですけれど、必ずしもそうとは思えない。
戦後、価値観が変って、選択の幅が1見非常に広くなったと思われているほどには、女は自由ではないのではないか・・・。
目に見える束縛から日に見えない束縛に変っただけではないかと思って。
まあそれも進歩の過程ではありますが、しかし、建て前と実態との差はものすごく開いている。
平井・・・そうでしょうね。
M.fuji・・・それから、日本の出生率というのは、敗戦直後ベビーブームとよばれる一時期を経たあと劇的な低下がおこって、そのままずっと今日まで来ているように思われているのですけれど、よく見るとかなり微妙なんですね。
戦後5年目の1950年にはまだ人口増加率は3.63人だったのが、60年になると1.99人となる。
これはどういうことなんだろうか。
平井・・・もう1つは、これはもう人間に限らないんですけれども、命の再生産ということですね。
M.fuji・・・"老い"とか"死"とかいう問題からの解放があり得ないということは、もう厳然たる事実ですね。
平井・・・ええ。その場合に、自分の命のつながっているものが成長していく、また、そこから新しい命が産まれていく。
それがあるから、意外と人間は死などというものを見つめて生きていけるのではないか。
そうした意味で、子産み子育てということが、人間にとって、非常に救いになっているのではないか。
M.fuji・・・ええ、ええ。
平井・・・逆に言うと、子どもなど産まないでも生きていけるという人間は、ある意味で非需に強い人間でないといけないような気がするんです。
その辺で、いつの世の中になっても、人間が子どもを産むことは続いていくのではないかという気がするんですけれども。
M.fuji・・・ただ、女の場合、子どもが生きがいだといいますが、他の可能性もあって、自分はそれよりも子育ての方がいいのだという状況であればいいんですけれども、そうではない。
私ども小さな女グループでなぜ子どもを産むかという話合いを何回かやったんですけれども、産む理由には案外こたえられない人が多い。
むしろ産まないという人の理由の方がはっきり出てくるわけで、産む理由というのは、本能的なものだと言ってしまえばそれまでなのですが・・・
平井・・・ええ、ええ。
M.fuji・・・よくよく自分の意識をめくってみると、何となく産んでいるとか、産むのが当り前だからとか、産めばみんなが荏Hこんでくれるしとかいうことになる。
自分の人生とはっきり対置させて、だから子どもは生きがいなんだというところまで意識化されてないのではないかというふうな危険もまた、私などは感じるんですけれど。
平井・・・たとえば、いろんな意識調査などした揚合、いわゆる専業主婦の人たちに、「あなたの生きがいは何ですか?」と聞いた時に、「子ども」という比率が非常に高いですね。
M.fuji・・・そうでしょうね。
平井・・・おもしろいのは、「夫」というのはすごく少ない、本当に数えるほどしか出てこない。
それから、仕事が生きがいになることは、専業主婦の場合はないわけですね。
ですから、やはり女にとっては非常に"生きがい"としての子育て的な面があるし、それが潜在意識みたいなものの根底になっている。
子を産むということで初めて、ある意味で、女性が存在感を確められるという面がある。
それから、M.fujiさんのフジワークに関する論文でも指摘していらしたと思うんですけれども、女という立場から見ますと、やはりある意味での生活保障ですね。
子どものない主婦の非常に不安定な立場みたいなものも、満在意試としてはあると思います。
そういうふうな、いわゆる生きがいとしての子育てというのは、最近では女だけではなくて、男の方にもだいぶ広がってきているのではないでしょうか。
M.fuji・・・いわゆる教育パパの存在ですね。
平井・・・ええ。一方においては、疑似母子家庭、子育てからの父親の欠落みたいなことがいわれますけれども、本当にみんなそれをいいことだと思っているのかとな、ると、そうでもない。
いわゆる普通の男たちの胸たたいてきくと、イヤ、もっと子どもの世話がしたいのだとか、木当は、会社の中でやっていることといったら、ほんのちっぽけなことなんで、むしろ自分は息子の将来にかけたいのだ、という答えがわりと返ってきます。
だから、ある意味で、今のような非常に疎外、疎外の世の中で、生きていることが感じられる基底になるものが、女にとっても男にとっても、案外子どもなのではたいだろうかという気がするんです。
M.fuji・・・それはよくわかります。