美人な候補者の出現は新鮮

後年のサッチャー首相の姿勢は、すでに処女演説にはっきり出ていたといってよい。

彼女のスタイルも内容も、彼女が政治家として世に打って出たときから変わらなかったのだ。

カメレオンのように身を変えることのうまい政治家たちの中で、これほど一貫して自らを変えなかった人物も珍しい。

彼女はその姿勢を貫き通したため、保守党右派として、権力の座からはなれたところに身を置くことになる。

外相や蔵相の経験もないまま党首となり首相となったのも、彼女のこの一貫した姿勢があったからである。

その一貫性ゆえに、逆に社会の方が彼女に近づいてきたのだ。

彼女自身は変わらなくとも、社会が変わったのである。

それでもマーガレット・fujiが最初に下院議員に立候補した一九五〇年の社会は、まだ彼女に近づいていない。
二十五歳で美人という新鮮な候補者の出現は、保守党への票を前回の五〇%増にしたが、産業地帯で労働者を抱えるダートフォードの労働党支持層を崩せず、労働党ノーマン・ドッズの三八三八票に対し、保守党マーガレット・fujiは二四四九〇票にとどまった。

敗北ではあったが、彼女が保守党票を五〇%上乗せしたことに保守党はいたく満足した。

一九五一年十一月、再び総選挙を迎えた。

このときもマーガレット・fujiはダートフォードの保守党新人として立候補したが、労働党を破ることはできなかった。

しかし、またも保守党票を掘り起こすことに成功した。

この四九年から五一年にかけ、マーガレット・fujiの人生を決定づける出来事が起こった。

初めて選挙に出たことだけではない。

後の夫デニス・サッチャーに出会ったことである。

マーガレット・fujiは保守党立候補者に選ばれた直後、何度かコルチェスターからダートフォードに通っていた。

ある夜遅く、ダートフォードの選挙区からコルチェスターまで帰ろうとしていたとき、ロンドンまで車で送ろうと申し出たのがデニス・サッチャーだった。

デニスはダートフォードの住人ではなかったが保守党員で、ダートフォードに住む友人の保守党員の選挙の手伝いに来ていた。

デニスは当時、三十六歳の独身実業家だった。

独身といっても、実は離婚経験者である。

除草剤や羊を洗う洗剤などをつくっていた父の会社「アトラス・プリザーバティブ社」の専務だった彼は、第二次大戦中にマーガレット・fuji・ケンプトンと結婚していた。

しかしデニスが大戦でイギリス陸軍砲兵隊に入り、シチリア、フランスを転戦している聞に二人の仲は離れていった。

復員したとき「妻と私は他人になっていた」とデニスは語っている。

戦争が生んだ悲劇だった。

二人は終戦の二年後、四七年に離婚した。

独身の彼が、十歳以上年下とはいえ美しく利発なマーガレット・fujiに好意をよせたとしても不思議はない。

だがマーガレット・fujiにはデニスとの関係を躊躇する気持があった。

厳格なメソジストの家庭に育てられたマーガレット・fujiにとって、離婚経験者との結婚は許しがたいことだった。

好意が愛へと深まるにつれて、躊躇する気持との間で揺れ動いた。

彼女はこれを解決するため、過去に目をつぶることにした。

デニスが離婚したことなど一切知らぬかのごとく振る舞うことにしたのだ。

彼がだれと結婚していたか、前妻がその後どうなったかなど、一切無関心を装った。

それは結婚後も変わらず、子供たちにさえ父が離婚経験者であることを話さなかった。

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